せつなさだけを 愛する証拠だと思わせないでくれ

内博貴が大好きなヲタクが綴るどうしようもない日記とかレポとか。

1番酷いのは待ってみたくなること

内博貴くん主演舞台「まさに世界の終わり」を観劇した感想を綴ります。

2018年10月の東京公演のみの観劇です。

盛大にネタバレしてますのでご注意!

 

 

まず、わたしはルイに舞台公式では明言されていない私的設定をつけています。映画版を見た友人に教えてもらった「ルイはゲイ」という設定。確かにルイの仕草は非常に女性的だし(少し内股なところ、髪を撫でつけたり耳にかける仕草、そしてなにより死と対面したときのうっとりとした表情はまさに女性のもの)、カトリーヌに「子どもを作らない」と言われたときの狼狽え方を見ていると、同性愛者のソレだと思いました。あと、ルイの病気はHIVだから当時で考えるとそうかなって。

わたしは映画も翻訳本も見てないからなんとも言えないんだけど「僕は普通と少し違うから」のセリフの中にもそういった意味合いも含まれているのかなぁと。

 

そんな設定を踏まえて観た「まさに世界の終わり」

 

初見の感想は、面倒くさい家族!アントワーヌどんだけ空気読めないの!救われない!まさにグダグダ話だよ!(byアントワーヌ)と思いました。

 

でもひとりひとりに感情移入を試みると、それぞれの想いに気づいて登場人物が人間的に見えてきました。

 

わたしはルイ演じる内くんのファンなので、ルイのことを中心に感想を書きます。

 

ルイは「お前の不幸とやらは人と応対するときの流儀」と言われるほど、得体のしれない不幸を抱えている。それはきっと同性愛者がゆえの社会からの疎外感も根底にあるだろうし、何らかの理由で物事を歪んで受け止めてしまうようになってしまったんだと思う。

わたしが思うにルイは自尊心は高いけれど自己肯定感が極端に低いひと。

わたしはそういう人に何人も会ったことがあるけれど、まさにルイのような人だった。他者のことを受け入れないのは、拒絶しているのは自分なのに、まるで他者からの愛が足りないかのように語る人。まさにルイだ。

不器用だといえば聞こえがいいけれど、アレはもう病気だと思う。ルイの心の闇はどこから生まれたのか。ほんの二言、三言の返事とシニカルな笑みを学ばせたのは何だったのか。それが同性愛者だから、という理由以外の彼の生い立ちを知りたいと思った。

 

そんなルイを演じる内博貴。ルイにしか見えなかった。ペールギュントで踊らない、歌わない内くんに衝撃を受けたけれど、今回はルイにしか見えない内くんに衝撃を受けた。(このタイミングで言うべきじゃないけど内くんにルイって名前、超似合う)

彼はSHOCKのウチしかり、狂気を帯びた役が似合う。精神的にクるだろうけど、どんどん狂っていて欲しい。憎しみに狂うシーンのルイのエネルギー、表現力は観客も思わず息を呑む演技だった。

 

「ちょっとの間、想う、願う。自分と一緒にこの世界がなくなってしまうことを。僕といっしょに出て行って、僕といっしょにいって、もう二度と戻らない!僕がみんなを連れ去って、僕は一人っきりになったりしないんだ!」

「僕は思い浮かべた。僕たち死者はいずれ彼らを裁くことになる。僕たちは彼らが並んで歩く姿を眺める。今や残った人間たちは死者たちのものだ!彼らを観察するけれど、彼らのことはあまり好きにならない。好きになりすぎると悲しくなったり、辛い気持ちになったりしてしまうからね」

「僕は楽しむ、楽しむんだ。彼らの人生を作ったり、作りかえたりする!」

「(ルイが死んだあとの世界で悲しむ家族を眺めつつ笑いながら)泣くよなぁ??」

 

思い出すだけでゾクゾクするような狂気。特に階段の上で随所に見られる高笑いは狂気に満ちていて、錯乱しているようにも見える。わたしたちはルイのこんな一面を知っているけれど、あの家族の誰もこんなルイを知らない。あのシニカルな微笑みの裏で殺されていることを、嘲笑われていることを、憎まれていることを。そしてその理由が、僕を愛してくれなかったから。あの家族の誰がそんな理由を想像しただろうか。

でも家族がそんなルイを想像できないのは悪いことではない。ルイを愛していないからでもない。ルイ自身がそんな一面を誰にも見せてこなかったから。それ以外のなんにでもない。

家族に見せたい姿は、自分の死でさえもコントロールし、きちんと伝えられる自分。いつも自分だけは冷静なルイ。

 

ルイの心の闇が生まれた理由。わたしは兄弟というのは性格が似るものだと思っていて、あの強情な兄と妹がいるルイにはその要素が十分あると思う。だけどずば抜けて頭が良く、意地の悪い(私はこう思っている)ルイは家族の中で特別な立場を手に入れるために不幸になった。

これがアントワーヌのいうところの流儀なんだろう。

家を出たことも、帰らなかったことも、(これは偶然にしろ)病気になったことも、誰からも愛されない(と思い込んでる)ことも、ルイが特別になるための手段でしかない。こうやって出来上がった地位が、やるべきことをやる息子・心配され続ける弟・覚えてもいない崇拝される兄、なんだろうな。

 

ルイに思い入れが強すぎるまこぴさん。

 

僕という孤独」というセリフがあるんだけど、まさにルイはそこにいて、助けて助けてと叫びつつ、その孤独から抜け出すつもりはないんだと思う。だから、救助隊員を逆に沈めるように、差し伸べられる手を拒絶して。だからきっとルイは最期まで孤独。それが流儀。ここの救助隊員のところ、本当に素晴らしい例えだよね。

 

アントワーヌはルイがシャンパンに口をつけない姿に、母はルイの手を握ったときや咳き込んでいたときに、ルイの異変に気がついていたんだと思う。だけど、みんな怖くて、アントワーヌはルイの話が聞けないし、母はルイだけを追いかける。

すれ違う、方向性の違う愛がそれぞれの傷を抉りあって、それをルイは孤独に感じる。でもそんな状況を作り上げてきたのは、作っているのはルイ本人。

 

感想というか考察みたいになってしまいました(^_^;)

でもね、最後のシーン。歓喜の声をあげられなかったルイは、他の家族と同じだと思った。だからきっとあの家族はみんな、こぼれ落ちていったものを後悔し続けるんだろうね。

そんな中、カトリーヌという女性は賢く正しく立ち居振る舞いのできる強い女性だった。シュザンヌはあの家族らしく、気難しい兄と覚えてもいない兄と、出て行けない家の中で不幸を抱えているけれど、カトリーヌからは不幸を感じない。女性の強かさを描く舞台がわたしは好きだ。

そういえばシュザンヌのセリフで気になるのは「他の日だったらそれぞれ自分のことで精一杯、人には関わらないわ。それが愛よ!」これはどう解釈しよう?誰かお話聞かせてください。

 

2時間ぶっ通しでほぼ出ずっぱりの内くんの感情の起伏がとにかくすごい。憎しみを、怒りを露わにして怒鳴ったあとにケロッとすました顔をしたり、泣いたり、諦めたように笑ったり、ぎこちなくなったり、絶望したり、シニカルに微笑んでみたり、時に尊大に見えて、時に美しく儚く。表現の幅が本当にやばい(語彙力)。

最も痛ましいものほど美しく描きたい。石丸さんのその言葉どおり、内くんはどこまでも美しく、どこまでも痛ましく、そして、ルイを生きている。

 

 

もはや解説のようなツイート。

石丸さんにこう評価してもらえる内くんが誇らしい。開演前は散々文句を言いつつ、心をすり減らしながらルイを生きる内くんがすごく誇らしい。

 

まさに世界の終わり。なんらかの形で次につながるような舞台に、彼にとってもなってくれたら嬉しいです。

 

頭を使って緊張の中で観るからか、終わったあと本当に眠くなっちゃいます。疲れるのかな?そんな経験初めてで、私たち観客もあの空間で生きているのだと感じました。

 

は〜〜、こんな経験を積んだ内くんの次の仕事が楽しみすぎる〜〜!!!

 

ちなみにタイトルは、ルイの心からの本音、頭のよいルイだけど何のしがらみも難しいこともなく、そのままのルイの本心なのかなって思ったセリフです。お気に入り。

待つことは怖いことだけど、相手を信頼することだよね。

 

わたしは内くんに恋をして、内くんの活動をいつも待ってます。なんてね。