せつなさだけを 愛する証拠だと思わせないでくれ

内博貴が大好きなヲタクが綴るどうしようもない日記とかレポとか。

EndlessSHOCKを法社会学の視点から読み解く

私は大学で社会学という学問を学んでいます。社会学ですらあまり馴染みのない分野だと思うんだけど、その中でも私は社会学ゼミに所属しています。

社会学とは、社会において法(実体法・法制度)がどのように作用して、人々にどのような影響を与え、人々がどのような反応をしているのかについて分析し、明らかにすることによって現行法の改善や立法に応用しよう!っていう学問です。

 

はい、わたしもよく分かってません\(^o^)/

 

まあ、そんな法社会学の入門授業の中間課題で「法社会学の理論を使えば上手く説明出来そうな事例を探して説明しなさい」なんてレポートが出たものだからジャニヲタなわたしはEndlessSHOCKのストーリーを取り上げることにしました。

 

前置きがめちゃくちゃ長くなりましたが、その時に満点をもらったレポートに注釈を足したり、手を加えたりしながらはてなブログに載せようと思います。さっき読み返してみたけど深夜のテンションだったり、こじつけだったりもいろいろあってレポートとしての精度はかなり低いです。

お暇があれば読んでみてください。

 

ストーリーについて都合よくレポート仕様に解釈していますが、あくまでわたし個人の解釈なので読み物だと思って流してくれると嬉しいです(^^)

社会学に興味を持ってもらえたら幸いです。

 

タイトルは【舞台「EndlessSHOCK2012」作中に見られる法社会学の理論】です。

 

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 まず「EndlessSHOCK」とは今、日本で1番チケットが入手困難なミュージカルといわれている堂本光一が主演・座長を務める作品シリーズである。今年、このミュージカルが9月に大阪で上演されるので、SHOCKのストーリーやキャラクターの行動を法社会学の理論から読み解き、新たな解釈と理解を持って観劇するために今回の小テストを利用する*1 また、2012年公演を取り上げるのは現在DVD化されている公演で最新のもの*2であり、誰でも検証が可能であるからである(しかしこのDVDは完全予約生産であったため入手は困難かもしれない)。まず議論を進めるにあたりEndlessSHOCKを観劇したことがない人でも分かるようにあらすじを紹介する。
 舞台の物語はニューヨークのオフ・ブロードウェイの小さな劇場。コウイチ(堂本光一)率いるカンパニーは日々オフ・ブロードウェイでの公演を重ねていた。座長のコウイチの信条は「Show must go on」=「なにがあってもショーは続けなくてはならない」である。ある日、才能豊かなコウイチとカンパニーの仲間たちの情熱溢れる舞台の評判が新聞に掲載されたのをきっかに彼らはオン・ブロードウェイの大きな劇場からの誘いを受ける。カンパニーのNo.2であるウチ(内博貴)を始めとしたメンバー達は心躍らせるが、コウイチと彼らの間には微妙な亀裂が生じ始めていた。そして、半年後オン・ブロードウェイでの公演中カンパニーはあるアクシデントをきっかけに決定的なヒビが入る。


 では、ここからはあらすじを交えて議論を展開する。あらすじにも出てきたコウイチの信条「Show must go on」こそがEndlessSHOCK作中におけるコウイチのカンパニーでの「生ける法*3」である。コウイチ自身がその信条にふさわしい、ショーに全力をかけ走り続ける姿勢を持っているだけでなく、カンパニーのメンバーに対しても「Show must go on」を求め、ショーを中断させてはいけないことを教えている。またカンパニーのメンバーはそんなコウイチを心から尊敬し、この「Show must go on」をなによりの規範にしている。この規範によりメンバーたちが社会化*4されることによってコウイチは、ステージ上でなにがあってもそれに柔軟に対応し、ショーを中断させないという役割をこなす担い手を生産することが出来る。さらにカンパニーのメンバーがコウイチを尊敬していることや、才能豊かなコウイチと同じステージに立つことに誇りや名誉を感じていることからこの規範はカンパニーのメンバーにとって内面化*5されていることが推測できる。つまり、生ける法がカンパニー内で共有されており、結果としてカンパニーは素晴らしい公演を可能にしているのだ。
 しかし、ウチはそうではない。ウチとコウイチは幼なじみである。だがウチはコウイチに対してライバル意識を持っていた。何をしてもコウイチにかなわないという劣等感とエンターテイナーとして素晴らしいコウイチに対する憧れが積もりに積もりウチのライバル心を更に燃え上がらせていた。あらすじの最後に述べたあるアクシデントというのは公演中、スタッフのミスによりセットが舞台袖に引っかかり邪魔をし、ウチの見せ場であるシーンにウチが出られなかったことである。またそのシーンはウチが思いを寄せる女性リカ(神田沙也加)とのシーンでもあったためウチは一層苛立ちを募らせる。幕間、そのミスに対しスタッフに怒鳴るウチと「コウイチがフォローしたじゃない」となだめるリカ。(余談ではあるがリカはコウイチに好意を抱いている)そしてきちんと周りを確認しなかったウチが悪い、誰かがミスしたらそれをフォローするのが当然だと「Show must go on」を説くコウイチ。ここでウチの感情は爆発する。


「またソレ(Show must go on)かよ…じゃあ言うけどさ!誰のせいでみんながミスすると思ってんだよ、お前(コウイチ)のせいだよ!~みんなお前についていけなくなってんだよ!」


この台詞からウチにとって「Show must go on」は理解、内面化されておらず、外部(コウイチ)からの押し付けでしかなかったことが分かる。規範を守れなかったウチに対してコウイチは「お前はもうステージに立つな」と否定的サンクション(制裁)を与える。しかし、ウチはこの否定的サンクションにより心を入れ替えることはなく、結果として規範へは同調できず殺陣で使う小道具の刀を真剣に取り替えてショーを中断させようとする…


 ここまでで十分生ける法と規範の共有化、社会化について読み解くことが出来た。また、このほんの些細なアクシデントがカンパニーを引き裂くような大事件の引き金になった要因に、オン・ブロードウェイのへ移りたくなかった者、オン・ブロードウェイのステージで自分だけが有名になろうとした者、走り続けることを大事にし過ぎカンパニー全体を見ることが出来なくなったコウイチといったようにPM理論*6におけるMaintenanceの部分が弱くなっていたことがあるとも考えられる。よって、法社会学が全く関係ないと思われていたEndolessSHOCK作中にも至る所に法社会学の理論で説明できる現象があることが説明できる。

 

 以下はウチを演じている内博貴のファンである私が、ウチの印象が悪くならないように書き足す蛇足であるため読み飛ばしていただいても構わない。
結果として殺陣で使う刀が真剣に入れ替わっているとショーの途中コウイチは気がつく。しかし、ウチがコウイチに斬りかからないとショーは幕を閉じることが出来ない。さすがのコウイチもショーを中断させるだろうとほくそ笑むウチに対し、コウイチは斬りかかれと煽る。最初は信じられないといった顔をしていたウチもコウイチに煽られるうちにショーを続けるためにコウイチに真剣で斬りかかる。ウチも実は心の中ではショーを中断させてはならないという規範の共有化は達成されていたのである。その後ウチの独白シーンにおいて、走り続けるコウイチに置いて行かれるのが不安だった、ガムシャラになればなるほど周りが自分から離れていくのがわかった、自分が立ち止まっていることに気づいていたが切り捨てられるのが怖かったと打ち明け、しかしやはりコウイチを尊敬しているし同じステージに立ちたいと願う。このウチの告白をきっかけにカンパニーは再び団結する。つまりPm(もしくはpm)の状態からPMへと戻るのである。そしてコウイチの命の全てをかけた素晴らしいショーが幕を開ける。ウチは自分なりに走り続ける道を見つけるのである。

 

私のこの説明を裏付けるためには、脚本家に法社会学の理論を意識して作ったかを聞くのが1番だと思うが、YESという回答をもらえるとは想定できない。

しかし、堂本光一自身が「Show must go on」を信条にしている面もあり、キャストはジャニーズ事務所の後輩も多く、堂本光一を尊敬している者も多い。この「Show must go on」は作中だけでなく実際のEndlessSHOCKのカンパニーの中でも生ける法となっており、小道具で瞼を切り前が見えなくなっても、ハードな公演スケジュールで血尿になる者がいても、公演中止や降板にはならず千秋楽まで走り抜けている。フィクションの世界だけでなく、カンパニーが実際に生ける法を遵守している事実と「日本一チケットが入手困難な舞台」という素晴らしい評価こそが説明を裏付ける最大の証拠ではないだろうか。

 

*1:このレポートが書かれたのは2014年6月である。

*2:何度も言うが2014年6月に書かれたレポートである。

*3:オイゲン・エールリッヒが提唱した、人々が受け入れ実践している、いわゆる慣習法のこと。私は「暗黙のルール」に等しい存在だと解釈している。

*4:所属する社会や集団の文化や価値観、規範を身につけること。後天的に学んで得ることが特徴

*5:その社会が持っている価値や規範を、自分の価値と規範として受け入れること。内面化により、集団は円滑に集団目標(SHOCKではSMGO)を遂行できるようになり、個人は円滑に集団から受容されるようになる

*6:リーダーシップ理論のこと。Pは「職務遂行機能(Performance)」、Mは「集団維持機能(Maintenance)」のことでリーダーシップを以下の画像の4類型に分類した。

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